MONO thingsfrom RCA-KCUA exchange

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30周年に寄せて

京都市立芸術大学 学長赤松玉女

1989年,本学にとって初めての国際間大学交流協定を,イギリス,ロイヤル・カレッジ・オブ・アートと結びました。現在に至るまで,双方にとって有意義な連携が継続されていることを光栄に思い,すべての関係者の皆様に心から感謝申し上げます。
現在,学生時代にRCAとの交換留学を経験した多くの卒業生が社会の様々なジャンルで活躍し,またその後,本学の教員として後進の指導にあたっているものもすくなくありません。このプロジェクトがもたらした大きな成果といえるでしょう。
京都市立芸術大学は2023年度に予定している京都市中心部へのキャンパス移転を控え,より開かれた大学を目指しています。国際交流の実績を生かしつつ,異文化を理解し,多様性を受け入れ,そこから得たものを作品や演奏に昇華して社会に還元する大学にしたい,と考えて計画を進めています。
RCAとの交流30周年記念アーカイヴはその礎となり,これをきっかけに,京都市立芸術大学の歴史と本学が行ってきた良質な教育内容が,国際的にもさらに広く認知していただけるものと,大いに期待しています。


京都市立芸術大学 美術学部准教授金氏徹平

昨年度,ロイヤル・カレッジ・オブ・アートと京都市立芸術大学の交流,交換留学のプログラムが30周年を迎えました。
私自身も2003年に修士1回生の時にこのプログラムに参加した経験がありますし,2010年に教員になってからは担当する学生を送り出したり,また、RCAから来た学生を受け入れたり,今年の前期までは国際交流委員としてもプログラムに関わってきました。自分自身では,交換留学で良いことも悪いことも経験し,その後の活動に大きな影響があったと感じています。現地では,拙い英語でなるべくたくさんの先生や学生と作品を前にして話すことを心がけていました。その中で最も印象に残っているのは,Jordan Baseman先生との対話で,「海外に出ると,知らず知らずの間に国や出身地などを代表してしまったり,大きなものを背負ってしまいがちだけれども,私が最も興味があるのはあなたの個人的な経験です。」というようなことでした。実際に30年の間にこのプログラムに参加した両国の200名近くの学生たちはそれぞれの時代の,それぞれの状況で,それぞれの研究をし,それぞれの経験をしたはずで,それらの一つ一つは個別の意味や価値を持ったものだと思います。
だからこそ,これまではあまり積極的にはアーカイブが行われてきませんでしたが,その重要性を感じますし,それぞれの参加者がどのような経験をし,それがその後どのような活動や研究に繋がっていったかということを体系的に研究することには大きな価値があると信じています。
このプロジェクトが,3年後の移転に向けて、またその後の新たな形での交流も期待しつつ,今後も学生たちが初めて他者と出会う場としてのプログラムを継続していくために少しでも役立てばと思います。


京都市立芸術大学 油画専攻教授森口サイモン

KCUA-RCA交換留学制度のはじまり

1980年代後半、京都、寺町に大変評判の良いムガールというインドレストランがあった。おそらく1988年ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下RCA)、工芸科科長デヴィッド・ハミルトン教授と英国文化センター、ディレクター、ジョン・マックガヴァンの2氏を私が夕食を一緒にしようと誘った場所である。その日の早いうちに私はハミルトン教授とジョンを京都市立芸術大学(以下京芸)に案内していて、三人とも空腹であった。
ジョンとは気の合う良き友人であったが、インドレストランでの会食より数週間前に、彼はRCAと交流を持てる日本の芸術系機関を発掘することを目的としてハミルトン教授の来日が予定されていて、京都が最初の訪問先であると伝えてくれた。そして,教授を京芸に案内してはどうかと助言をくれた。躊躇なく私は喜んでその助言を受けた。
私は京芸の専任教員として1986年から勤めていた。その当時,多くの教員が調査・研究や展覧会出品のために海外へ出ていた一方,京芸の学生が公式に参加できる国際的な交換留学制度はなかった。ジョンは私がそうしたプログラム,特に私の出身国である英国と築きたがっていたのを知っていた。出身国とは異なるところの新しい言語で学ぶ経験をすること、さらには作品が生み出された環境の中で実作に触れることは,現代の美術教育にとって不可欠であると私は考えていた。そうした点からRCAとは完璧な出会いであった。
1980年代後半の京芸は,現在とはまったく様子が違っていた。キャンパスの真ん中には竹藪があり,各専攻のアトリエはまだ新しかった。教授は予想していた通り,京芸に好印象を持ったようだった。そして先のインドレストランで,私は教授に京芸と何かしらの交換制度を作ることに興味があるかどうかを尋ねた。
食後のチャイを飲みながら,テーブルナプキンに最初の交換留学制度協定に関する草案を急いで私たちは書き出しはじめた。教授はまず交換留学生を互いに2名からはじめることを提案した。ジョンは日本側からの学生の英語の能力を案じ,京芸が選出した2名の学生に,渡英前の準備として英国文化センターで夏休み期間中,無料の英語レッスンを提供することを申し出てくれた。ここで素晴らしいスタートをきることができた。
その後,インターネットはまだなかった時代であったので,数多くの折衝が手紙,ファックスそして翻訳作業によってなされ,ついに研究科長真野岩夫教授と私はRCA学長,サー・ジョセリン・スティヴンスと交換留学制度最終協定にサインをするためにロンドンへ向かった。その折り私はRCAの学生たちへ3ヶ月間の交換留学が,互いにとっていかに素晴らしいものとなるかを話した。 あれから30年あまりを経た現在,この交換留学制度は双方にとって有益な制度として未だに続いている。現在の交換留学生たちが生まれる前にこの物語ははじまった。また次の30年へと続きますように。
インドレストラン、ムガールはあれ以来木屋町通りに移転し,今でも美味しいインド料理が味わえる。

註:文中の人物の肩書きは、当時のものである。


ロイヤル・カレッジ・オブ・アート コミュニケーション学科 シニア・チューター デビー・クック

30年間に渡り、京都市立芸術大学とロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)間の交換留学プログラムは、異なる分野における物事の見かたや理解の方法を通して、アイデアを発展させる機会を創造してきました。留学を体験した学生たちは、態度、アイディア、イデオロギー、そして価値観を発展させることに専心すると同時に、新しい文化の中で全てを再考することに対し、完全な開放性を維持していました。彼らは深い価値を持った、挑戦と批評の交換を行う集団領域の一部であるのです。
この交換留学プログラムは、文化を超えた新たな知識と思考の領域を創り出し、文化の多様性を教育に組み込むという喫緊の課題を共同で前進させました。このパートナーシップには、真に価値のある共有された理想に基づいた特色が存在します。RCAは京都芸大が本学と学生に対して示してくれた寛容さと開放性に対して深く感謝しています。
私たちの中心にあるのは、学生に対して変革的な教育を提供することです。RCAは京都芸大との国際的な関係をより豊かに育むことで、新たな知識と交換を生み出し、現在の考え方に挑戦し、学生の経験に国際化された文化をもたらすことを楽しみにしています。