2005年度 国立高等美術学校/フランス 湊 茉莉
学部
大学院美術研究科
美術学部・大学院美術研究科
年度
2005
氏名/専攻
湊 茉莉/日本画
プロフィール
1981年京都府生まれ。現在はフランス、パリを拠点に活動。京都市立芸術大学・同大学院で日本画を専攻。パリ国立美術学校に留学、その後編入しディプロマを取得。近年の個展に『ながれ-あはうみの つちときおく』(滋賀県立陶芸の森 陶芸館ギャラリー、2022)、『はるかなるながれ、ちそうたどりて』(京都市京セラ美術館 ザ・トライアングル、京都、2021)、『うつろひ、たゆたひといとなみ』(銀座エルメスフォーラム、東京、2019)。主な参加プロジェクトとして、『フランス・ナンテール市 旧市庁舎公園内野外公共劇場壁画コンク』(ナンテール、フランス、2019)、『常設絵画インスタレーション』(パリ国際大学都市内国際館、パリ、フランス、2018)ほか多数。
交換留学から辿るキャリアパス2022 特別インタビュー
交換留学経験がその後のキャリアにどのような影響を与えたか、実際の経験談から辿っていくイベント「交換留学から辿るキャリアパス」に先立ち、2022年9月に登壇者の湊 茉莉さんから留学当時のお話を伺いました。
質問:交換留学に応募するきっかけや、どういう選考があったかというお話を聞かせていただけますか?
湊:私は学部・大学院共に日本画を専攻しておりまして、大学院2回生の時に交換留学に応募しました。 私の母が元々大学でイタリア語を専攻していたこともあり、外国語への関心はずっと持っていたんです。大学入学後に、総基礎で(半年間、美術学科の学生全員が専攻毎に別れずに実習する総合基礎演習のこと)同級生・同世代の人たちと交流し実習する中で、フランス語の授業を受講する友達と親しくなったことがきっかけでフランス語に興味を持ち、私もまずは独学で毎日ラジオを聞きながらフランス語を習得することを始めました。その後柏木加代子先生(本学名誉教授)の授業を受講する中で、交換留学ができることを知ったんです。学部3回生の時に、交換留学に応募したいと先生に相談したところ、 まずは京都市立芸術大学でできることをしっかり学んで、修士課程で留学してはどうか?というアドバイスを受けました。ですので、学部、修士と日本画専攻、日本画の技術を習得し制作することに集中しつつ、 並行してフランス語の習得に務めました。
もう1つ重要だったのが、私は修士課程2回生になるまで京都で生まれ育ち、日本の文化というものが根っこにあるんですけれど、そうした文化の中から一度自分の身を外に置く、ということをしたいと考え始めたんです。そして他文化の土地に行くとしたら、自分の言葉を通して、同世代の美術を志す人々がどういうことを考えているのかということを知りたいというのが、動機の中で重要だったと思います。なので、語学習得を並行してやりました。
質問:ありがとうございます。留学される際に語学はかなり準備された状態で行かれたんですね?
湊:そうですね。とはいえ大学の授業で、文学を読んで理解することで、読むことはある程度できるようになったんですけど、話す機会があまりなかったので、会話に関してはやっぱり現地に行ってから習得した部分が大きかったと思います。話すスピードも全然違いますし。語学の壁は、多少は大丈夫だったかとは思うんですけど、それでも最初は結構大変だった記憶があります。
質問:京芸内の様子についてですが、当時からエコール・デ・ボザール(以下ENSBA)への留学希望者は多かったですか?
湊:交換留学への希望者はたくさんいたと思うのですが、ENSBAは英語圏ではなくフランス語圏ということがあり、 イギリス(RCA)の方が希望者が多かった印象があります。
質問:留学に応募した際、どのような書類を提出しましたか?
湊:ポートフォリオを提出しました。私が交換留学した当時はENSBAの教育システムが、2つの軸に分かれていまして、ひとつの軸は実技(制作と技術)、もう一つは学科でした。実技に関しては、アーティストに師事しそのスタジオに所属し制作することと、技術のアトリエで授業を取り技術を習得するという2通りの単位を取る必要がありました。アーティストを師事しそのスタジオに所属するためには、自分でポートフォリオを準備し、その先生に受け入れてもらえるかどうかという選考審査のようなものがあり、受け入れてもらえたらそこで実習ができるというシステムでした。先生に会いに行く際には今までどのような作品制作をしていて、どういったことに関心があり留学中にどのような制作を考えているのか、というような内容を話す、先生との個人面接みたいなものもありました。
質問:スタジオ選びに関しては、自分でリサーチをして、どの先生に就いて学ぶかを決めたんですか?
湊:そうですね。私の場合は、京都で日本画を専攻していたので、大きく「絵画」という枠に入るような作品を制作しているアーティストの先生をまず選びました。1人1人の先生にスタジオに会いに行き、面接のようなことをし、最終的に受け入れてくださったのがジャン=ミッシェル・アルべローラ先生という、絵画制作を軸にしたアーティストでした。
質問:実技以外はどんな授業をとりましたか?
湊:学科で私が受講したのは人類学だったんですけれど、実技と学科、2つの軸の単位を取ることが、交換留学生としても必要でした。そうすることで、京芸でも単位を取得したことになるというシステムでした。その他に留学生向けの語学授業もありました。
質問:現地で先生が決まった後の学び方というか、 京芸と違ったところ、似ていたところを教えてください。
湊:教育システムとしては、私が在籍していたときは京都芸大では日本画、油画、版画など、技術というか、専門をしっかり分けて専攻するっていう風だったと思うんですけれども、ENSBAの場合は、そういった技術で専攻を分けるということなしに、スタジオに所属し、アーティストには師事するんですけれど、そのスタジオを軸にしながら、自分の制作におけるコンセプトや、表現の方向性に合わせ、制作に伴う技術を自由に選べるところが、特に異なる点だなと感じました。
ENSBAでは、日本画の顔料も少量ですが現地に持ち合わせていて、制作にも使用したりもしました。それと並行して、自分にとって表現に向き合う際に、制作にどのような素材が必要で、何をコンセプトにそれをどのように表現していくのかっていうことをもう一度考えるきっかけになりました。
また、京都芸大の日本画専攻にも台湾など海外からの留学生の方はもちろんおられたんですけれど、ENSBAですごく豊かだなと思った点は、フランス以外の国から来ている学生さんが全学生数の半数を占めていたっていうことで、本当に異文化交流が主体となった学校だな、という実感がすごくありました。
質問:学生同士の関係とか、スタジオの先生との関係性は日本と比べてどうでしたか?
湊:私の場合は、アルべローラさんのスタジオにいたので、もちろん彼の元で学ぶという感覚がありつつも、野放しというか、制作に用いる技術の選択に関しては本当に自由だったので、自分に何が必要であるのか、何を表現したいのかっていうことを自身で明確にして進めていかないといけませんでした。表現方法、或いはその手法が自由であることの難しさもあるという印象でした。
質問:制作面に関して少し質問ですが、日本画など、現地で手に入りにくい材料を専門とする方が短期で交換留学に行って、実際どのような制作が実施できたのか伺えますか?
湊:私の日本画の技術への関心が、自然の鉱物を砕いたもので色層を作り、絵画空間として用いる制作プロセスなのですが、空間における色彩やイメージの在り方を探る上で、3か月という短期間で実施したいなと思ったのは、自分の生活する場所に存在するイメージのあり方の探求、をコンセプトに制作・思索を進めることでした。ヨーロッパ、 特にフランスですと、洞窟壁画という、古代におけるイメージのあり方を考える一つの痕跡を実際に見ることができます。ENSBAの中では、フレスコ画を実践できる技術アトリエがあったので、まずフレスコ画の先生に就いて、その技術を習得することをメインに制作を始めました。フランスのラスコーやショーベなどに代表される洞窟壁画においては、約2万年~3万5千年前にその地方に生活していたクロマニョン人が、松脂や顔料を使って岩壁に動物の姿や手形などの跡を残しました。それらが自然作用によって偶然に残っているわけですけれど、フレスコの技術はそれを人工的に、石灰や漆喰という物質の持つ作用を用いて、永久的に壁画としてイメージを表現できるという技術です。留学期間は3ヶ月という短い期間なので、その技術の確実な習得とまではいきませんでしたが、実際にフレスコ壁画制作を幾度も体験することができました。
スタジオ制作においては、アルベローラさんのアトリエでは所属する学生が本当に多かったので、小さなスペースしかもらえなかったんです。その中で、日本の顔料や、膠も少しは持っていったんですけれど、現地で普段使っている画材が手に入らない状況で、一体自分に何ができるのかをもう一度問い直すきっかけになりました。 敢えて日本の顔料を使おうとせずに、今目の前にある状況、身の周りにおいて手に入る材料を使って、一体何が表現できるのかっていうことを模索した時間でもありました。
質問:現地では展示には参加されましたか?
湊:学校の開催するオープンアトリエに参加しました。また、ENSBA校舎に入ってすぐ中央に2つギャラリースペースがあるんですけれど、何人かの交換留学生と自分たちで企画して、そこで展示することもできました。
質問:パリでの暮らしに関してなんですけど、2022年現在もお住まいということで、いろいろ変化はあったと思うのですが、当時の暮らしについて少し伺えますか?
湊:私は全然宗教者ではないんですけれど、留学中はポーランド系のシスターが経営している女子寮に入っていました。柏木先生に紹介していただいた寮だったので、信頼でき馴染みやすかったですし、場所もENSBAから近く通いやすく、生活する上での危機感とかも全くなかったです。
質問:クリスチャンの女子寮ですと、門限など制限もありましたか?
湊:はい、制作で遅くまで学校に残ることはできたんですけれど、逆に寮には門限があったので、その点は自由がなかったというか。
質問:ちなみに門限は何時だったんですか?
湊:当時は22時でした。もうちょっと制作したいなって当時思った記憶があります。でも、ここだけの話ですが、友達の家に泊まらせてもらったりもしました。
質問:ほかにもなにか大変だったことありましたか?
湊:寮には食事がついていたんですね。その食事を食べなくてはいけないのが辛かったです。調理できるような台所がなく個人的に料理をしてはいけなかったので、それが最初辛かったですね。こっそりご飯を炊いたりしてました(笑)
あとは、治安。外出すると、スリとかやっぱりあるじゃないですか。日本で生活するのとは違う緊張感は常に持ってないと、気を抜いたら絶対狙われますよね。
質問:友人関係はいかがでしたか?技術や作品の実物があれば、語学ができなくてもっていうような意見も聞くんですけど、やはり人間関係においては語学が役立ちましたか?
湊:語学ができた方が、やっぱり幅が広がるというか、滞在する国の文化への理解力も高まると思いますし、もちろん、自分の言葉で少しでも交流できるっていうのは豊かなことで、事前に習得することをおすすめします。とはいえ、私自身もその当時は会話についていくのに必死でした。現地での会話のスピードは日本での語学レッスンとはまったく違うこともあり、会話力はまだまだという感じでした。
質問:フランス語を日本で勉強する上で、ラジオと大学の授業以外になにか取り組みましたか?
湊:個人的にプライベートレッスンを何ヶ月か受けたことはありますが、主には大学の授業ですね。フランス語の本を少しずつ読解していくような授業と、あとは独学というか、日々少しの時間でも仏語会話や録音などを聞いては、少しずつ語彙の幅を増やす、ということを繰り返す日々でした。
質問:ENSBAから京芸に来ていた留学生と交流する機会はありましたか?
湊:はい。フランス語の授業をとっていたことがきっかけだったのか、交換留学生を紹介してもらい、彼女が京都の町を散策する時に同行したりもしました。また、私が交換留学に行く直前に京都芸大に来られていた留学生ともお会いして、私がパリに到着してからも再開する機会がありました。フランスから京都に行く予定の学生さんともお会いして、お互いにアドバイス、情報交換をしました。
質問:以前ENSBAの学生に話を聞いたのですが、口コミで京芸への交換留学の評判が伝わっているようで 、留学希望者が途絶えることがありません。フランスと日本の芸術的な関係はどのようにお感じになっていますか?
湊:私は交換留学を終えたあとも、ENSBAに編入して学生を続けたわけですけれど、日本に行きたいっていう学生さんは、毎年たくさんいて、特に京都に行きたい方が多いっていう印象があります。日本とフランスには、他の国とは違った、脈々と何世代にもわたって芸術的相互理解というような交流関係にある印象があります。一般的な話では、パリ万国博覧会などを通して、ゴッホなど20世紀初頭に画家たちが北斎に影響されたりというような、「ジャポニスム」と呼ばれる芸術傾向が生まれたことや、芸術的な感性としてその質の高さをお互いに認めるような目を持つ、そういった特別な関係にあるような印象はあります。
質問:学生時代はいかがでしたか?日本から来た学生ということで、ちょっと一目置かれると言ったら変ですけど、日本画っていうあの手法に関しても、珍しく感じる方いうか、興味をもたれることもありましたか?
湊:日本画という技法やカテゴリーは、フランスの学生の間ではあまり浸透していない印象ではありました。大きくアジアの美術、また中国や日本など東洋絵画への関心を持っていた学生はいたように思います。ジャポニスムは美術史においてもすごく知られた動向ということもあるのでしょうか、日本的な美術っていうレッテルやアジア的なアートへの関心から作品を見られるということも多々ありました。質問の答えになったでしょうか?
質問: もう少し深くお伺いすると、フランスで活動するうえで、アジア的なものをアジア人アーティストって求められがちだと感じますか?
湊:端的に言いますと、私の場合日本的なものを作ろうという意識で進めていたわけでは全くなかったんですけれど、自分のコンセプトに合う制作を進めていく中で、見えるものと見えないものの境目(可視・不可視の境目)や、儚いものに関心があるという点など、物質として消えゆくものを美徳とする日本の文化や、日本の空間概念の一つである「間」ともいえる空間認識が作品の中でも重要になってきて、複数の面を用いた絵画制作、壁や天井などを絵画媒体として制作していくなかで、「間」や襖を彷彿とさせるような作品が自然と生まれてきています。ですので、私にとっては求められたものを制作しているという考え方はまったくありませんが。
また、生活する中で実感としてあるのは、自分はアジア人の一人でしかないという自覚です。制作においてもやはり日本の文化というものが多くを占めているというのを感じざるを得ないというか。自分の背景には日本の文化がしっかり根付いていることをますます実感する日々です。質問の答えになっているかちょっとわからないですけれど。
質問:とても興味深いお話をありがとうございます。最後に、留学で苦労したことについて教えてください。
湊:滞在が始まった当初から困ったこと、自分にできなかったことなのですが、「ノー」と率直に言えなかったことです。フランス、ひいては欧米言語圏ですと、イエス/ノーをはっきり言わないといけない文化だと思うんです。私は日本にずっと生活していたこともあり、 日本語では「わかりません」とか「そうですね」とか相槌を打ち、曖昧に答えられる環境にいたこともあり、「 結構です」とか、「いりません」とどうしても言えないのが1番辛かったです。実際、誤解を招くんですよね。お食事に誘われてある食材を勧められて、どうしても食べられないものでも「ありがとうございます」ってつい断れずに受け取ってしまう。というような些細なことでもノーとなかなか言えないっていうことが問題になった時期がありました。今は言えます(笑) やっぱり言葉ありきの文化というか、自分の考えを発言するということを重要視する文化であるということ。今でも私にとって、フランス語は外国語であり続けてるんですけれど、プレゼンテーションなどでは、逆にフランス語の方が表現しやすかったりするような印象を、今までの経験では感じています。日本語は、言語的に曖昧にしほのめかして理解をし合うというか、お互いに推測し合うような言い回しが多いと感じていて、そこは美しかったりもするんですけれど、まっすぐ論理的に相手に何かを伝えるのに適した言語じゃないのかもしれないと。すごく豊かな言語ではあると思うし、私の勝手な実感なんですけれど。
質問:様々なお話をありがとうございました!
聞き手:橋爪皓佐 (芸術資源研究センター非常勤研究員)、ベックマン牧子(インターナショナル・コーディネータ)、松井沙都子(キャリアデザインセンターキャリア・アドバイザー)
編集・制作:京都芸大国際交流アーカイブ(芸術資源研究センター重点研究プロジェクト)